日本のエロティシズム 〜 百川敬仁

P15
おおきな緊張を要する自我の構造化の代償として累積する心的ストレスが、その構造の一時的解体によって解消されるカタルシス的な瞬間への予期こそ、人間の存在論的基礎をなす時間性の根源をなす


P19
(ドンファンなどが)次々と相手を探しもとめるのは、未知の領域がなくなり反復しか残されていない単なる肉体的快楽では満足できないからである。あらたな肉体をもとめる際限ない遍歴は、むしろ肉体への不満を超えたもの-エロティシズム-への憧れを物語っている。


P24
エロティシズムとは個体の自我が他者の自我もろとも自我出現以前の泡立つ混沌へ回帰し、精神の構造を維持し続けることの緊張からどうにか逃れたいという、自我の象徴的な死への欲望にほかならず、そうした欲望の自覚は他社に対する支配と被支配の両方の関係が交錯する演技的な協働作業によって性的快感の頂点に近づいていく予感の時間の中で十全に、そして最高度に味わうことが可能になるからである。
→エロティシズムの問題に他者という概念が入り込んでくる


P26
拷問する快楽の本質はたんなる肉体の加虐にあるのではなく、それを介して精神を屈服させる、つまり他者の自我の構造を破壊する点にある。


P.55
認識の深化がもたらすものは<精神の王国>ではなく、すべてが見え透いたフィクションに堕する恐るべきニヒリズムの世界


P61
個体同士が深部であらかじめ情緒的に融合を遂げてしまっている<もののあわれ>社会のそれは、象徴的な死(自我構造の解体)を代償に孤独な自我同士が不可能な融合を夢見るところに生じる種類のエロティシズムとはおのずから別物でなければならないはずだ。