2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧
バタイユ 「人間はただ死においてのみ一切の個別性を超えて大きな連続性の中に解き放たれる。私達は失われた連続性へのノスタルジーを持っており、エロティックな行為の絶頂において、わずかに死による等価物を手に入れることができるのであろう」
P23 快楽は客観的なものであり、幸福は主観的なものである P25 快楽は瞬間的なものであり、幸福とは持続的なものである P64 エピクロス「死は、わたしたちにとって何物でもない・・・というのは、善いものも悪いものも、すべて感覚に属するが、死は感覚の欠…
プラトンは理想主義者であり、アリストテレスは現実主義者である、とよく言われます。プラトンはイデアという感覚世界から離在するものを実在と考え、感覚的事物を実在と見なさなかったのに対して、アリストテレスは感覚的事物を実在と考え、感覚世界から離…
質料因 ・「それは何からできあがっているか」と問われたときの「何」にあたるもので、「素材」のこと。 ・「ヒュレー」と呼ばれる。 形相因 ・「それは一体何であるか」と問われたときの「何」にあたるもので、ものの「本質」のこと。 起動因 ・「それは何…
愛(エロース)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産するこ…
クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)はフランスの作曲家である。長音階・短音階以外の旋法の使用、機能和声にとらわれない自由な和声法などを行った。 ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲…
・静臥(せいが) ・虚脱(きょだつ) ・蠢動(しゅんどう)
唐の玄宗の開元年間のことである。 呂翁という道士が邯鄲(河北省、趙の旧都)の旅舎で休んでいると、み すぼらしい身なりの若者がやってきて呂翁に話しかけ、しきりに、あく せくと働きながらくるしまねばならぬ身の不平をかこった。若者は名を 廬生といった…
・要素として分割しえない全体としてのまとまり、構造 ・音楽のメロディーとか。(オクターブが変わっても総体としてのイメージは変わらない)
・心に潜む人類共通の普遍的無意識を仮定
<意識>・<前意識>・<無意識>に区別
P73 独自の生を特殊な体験として生きているにもかかわらず、恣意的文節である言語の網に絡み取られ、その結果各人の価値観が等質化・画一化されている P199 関係が<物>を産み出す P206 羞恥は実体ではなく、関係であるが故に時代・場所・男女・年齢層によ…
冬眠とは、体温を下げ、運動や食べることをやめて、代謝を低くすることで、食料が少ない冬を乗り越える状態。体温が低くなっても凍死しないということは、それだけ冬眠中は低い体温に耐えられるよう、体を調整する能力が高まっていることになります。理由は…
・6つの手紙からなる長編 ・小説が神話になりうることを示している。大江健三郎の作品のなかでもこれだけの深く広い世界観を構築できている作品はないかもしれない ・その分纏まりにかけるのが欠点か ・第一の手紙が恐ろしく退屈 ・逆に第二の手紙以降は完成…
・恒常不変性 多くの美しい感覚的事物は醜いものに成りうるが、 美のイデアは、いつも美であり、それが醜になることはない。 ・単相性 美のイデアは美という同一のあり方をするのみだが、美のイデアを分有するものは、同時にまた大を分有したりしうる以上、…
・ギリシア語の原意は「見られたもの」であり、プラトンの場合には、それは既に述べたように、「心眼で見られたもの」という意味・多様なものを貫いている一つの普遍的原理・同一を保ち、恒常のあり方をするもの