ディオティマの説〜「饗宴」プラトンより

愛(エロース)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。

これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産することによって行われる。このような生産的な性質をもつ愛には幾つかの段階があり、生物的な再生産から、他者への教育による再生産へと向かう。愛は真によいものである知(ソピアー)に向かうものであるから、愛知者(ピロソポス)である。

愛がもとめるべきもっとも美しいものは、永遠なる美のイデアであり、美のイデアを求めることが最も優れている。美の大海に出たものは、イデアを見、驚異に満たされる。これを求めることこそがもっとも高次の愛である。



以下http://matsuura05.exblog.jp/d2004-02-19より

すべての人は、或る年齢に達すると、肉体的にも精神的にも妊娠し生むことを欲します。生むことは、醜いものの中ではできず、美しいものの中でなければできません。美しいものの中での出産・分娩を目指すのです。

人間という死すべきものは、身体的な出産により、かつての自分と同じような別の新しいものを後に残していくという仕方で、不死なるものに与ります。他方、魂の場面で身ごもっている人は、美しく高貴で素質のよい魂を相手に知や徳を生み出そうとし、この相手に対して、徳に関する話などをして教育にあたります。