カント

・ドイツ出身の哲学者(1724年4月22日 - 1804年2月12日)
ドイツ観念論哲学の祖
・『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』が有名


純粋理性批判

・科学の成立根拠を問うと共に、経験に基づかない「形而上学」を批判する試み
・感性は「直観」の能力であり、時間と空間という形式を持つ。(感性的(=感覚的)な直接知)
・悟性は「理解する力」「常識」を意味する
・意識はその二種の形式(感性と悟性)にしたがってのみ物事を認識し、その認識を経験と呼ぶ
・理性は、より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける、推理の能力である

・アポステリオリな(a posteriori=「より後のものからの」)認識とは、経験に依存する認識である。例えば「全てのカラスが黒い」かどうかは、実際に調べてみなければ分からない。
アプリオリな(a priori=「より先のものからの」)認識とは、我々の「経験」に依存しない(従って普遍的な)知識を意味する。例えば、「三角形の内角の和が二直角である」ことは三角形の本質から導かれる知識である。

・学問が新しい知識を生むなら、それは総合判断である。そしてそれが普遍的に正しい認識であるなら、アプリオリな判断でなくてはならない。従って、自然科学などの経験科学は可能か、という問いは、「アプリオリな総合判断はどのようにして可能か」という問いになる。

※総合判断:主語に新しい述語を付与する判断

・しかし理性が、直観という地盤を離れ単独で、超自然的な対象(神、世界全体、魂)の認識(=「形而上学」)を生み出そうとすると、必然的に誤謬に陥る。(二律背反)


・つまり認識の対象は、感覚に与えられ得るものにのみ限定される。すなわち、人間理性は、ただ感性にあたえられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適用するにとどめられる
・認識理性は、本来悟性概念の適用されえない超感性的概念・理性概念をも知ろうと欲し、それらにも範疇を適用しようとする。しかしカントは認識の拡大へのこの欲求を理性の僭越として批判し、認識 (erkennen) されえないものはただ思惟する (denken) ことのみが可能であるとする