時間論 〜 中島義道

・過去中心主義から見た時間論
・同著者の「時間を哲学する」のほうが分かりやすいが、内容はこちらのほうが深い


P30
過去という観念にはすでに現在という観念が含まれている。なぜなら、第一に過去とはそのとき現在であった時なのであり、第二にこの現在にとっての過去だからである。(中略)
「『今京都にいるんだ』と昨日彼は言った」という文章の意味を理解できる者、こうした存在者のみが時間を了解していると言える。過去に含まれる現在という構造が時間構造の原形であり、この構造を明晰にしていくこと、このことが「過去中心主義」である


P100
時間とは、知覚的に与えられているあり方(現在)において、そこに知覚的に与えられていないものを、まったく別のあり方(過去)として了解することである。


P118
想起とは知覚と対等の、しかも知覚とは根本的に異なる作用なのだ。知覚が現在の事象に直接向かうように、想起は過去の事象に直接向かう。知覚が現在の意味を原的に与えるように、早期は過去の意味を原的に与えるのである。


P160
自由とは私が実現した過去の特定の行為Hに対して責任を取りうるということであり、「そのとき私は自由であった」という言明が正当に成立するということである


P190
時間認識は徹底的に「想起」という作用を中心に成立し、「想起している時」が現在であり「想起の対象の時」が過去である。よって想起能力がないものは時間の認識能力もない。過去を形成する能力のないものは時間認識能力もない。