マズロー

マズローは今までの精神分析や行動主義が病理的な面ばかり注目することに疑問を持ち、人間のこの「至高体験」を起こした時の心の様子を探求することにも意義があるのではないかと考えた


・人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである


・人間の基本的欲求を低次から以下の5段階に分類
  1.生理的欲求(physiological need)
  2.安全の欲求(safety need)
  3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
  4.承認の欲求(esteem)
  5.自己実現の欲求(self actualization)
 (6.自己超越)


・人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)する


・欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行する

概念から経験へ

アインシュタイン
「原理的な観点から見て、或る理論を観測可能な量だけに基づけようとすることはまったく誤っている。なぜなら実際はその逆だから。理論が初めて、何を人が観察しうるかを決定する」


ハイデガー
「実験物理学は理論物理学の基礎ではなく、その逆である」

無限論の教室〜野矢茂樹

・「実無限」・・・無限のものがそこにあるのだと考える立場
・「可能無限」・・・可能性としてのみ考えられる無限。無限が完結した実在として存在するとは考えない


・可能無限の立場では、√2というのは数字ではない、と言います。√2というのは、各桁の数字をある規則によって導くことが出来る。その開平法につけられた名前こそが√2だ、というわけです。だから、可能無限の立場では、1<√2というような式は、「√2は1より大きい」と読むのではなく、「√2という方法で数を作れば、1より大きな数を作ることが出来る」と読む
http://blogs.dion.ne.jp/white_night/archives/9583949.html


・円周率πとはある複雑な規則によって導き出されるという仕組みを表す記号であり、3.14……と無限に続く数字が人間の手によって(スーパーコンピュータの手によって)発見される前からすでに決まっている、というふうには考えない
http://d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20100512/1273661882

生物と無生物のあいだ〜福岡伸一

・ウイルスは栄養を摂取することもなく、呼吸することもない。幾何学的な美しさを持っており、結晶化することさえできる
・単なる物質から一線を画している唯一の特徴が自己複製能力を持つところ。


・DNAは二重螺旋の構造を持っており、対構造をしている。
・この構造は自己複製機構を示唆している。ポジとネガの関係。ポジを元にネガが作られ、ネガからポジが作られる。
・DNAにはA・C・G・Tの4文字しかない。AとT、CとGは互いに凹凸関係にある。
・DNAの一方が壊れても、他方を基に修復することが可能。


シュレディンガーの問い。なぜ「原子はそんなに小さいのか?」→「人はそんなに大きいのか?」。生命現象に必要な秩序を守るため(平均的なふるまいから外れる粒子の寄与を小さくするため)。


・ネズミを構成していた身体のタンパク質は、たった3日間の食事由来のアミノ酸によってがらりと置き換えられる。
・生物が生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である
・崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる


・生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度折りたたまれたら二度と解くことのできないものとして生物はある。





 

カント

・ドイツ出身の哲学者(1724年4月22日 - 1804年2月12日)
ドイツ観念論哲学の祖
・『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』が有名


純粋理性批判

・科学の成立根拠を問うと共に、経験に基づかない「形而上学」を批判する試み
・感性は「直観」の能力であり、時間と空間という形式を持つ。(感性的(=感覚的)な直接知)
・悟性は「理解する力」「常識」を意味する
・意識はその二種の形式(感性と悟性)にしたがってのみ物事を認識し、その認識を経験と呼ぶ
・理性は、より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける、推理の能力である

・アポステリオリな(a posteriori=「より後のものからの」)認識とは、経験に依存する認識である。例えば「全てのカラスが黒い」かどうかは、実際に調べてみなければ分からない。
アプリオリな(a priori=「より先のものからの」)認識とは、我々の「経験」に依存しない(従って普遍的な)知識を意味する。例えば、「三角形の内角の和が二直角である」ことは三角形の本質から導かれる知識である。

・学問が新しい知識を生むなら、それは総合判断である。そしてそれが普遍的に正しい認識であるなら、アプリオリな判断でなくてはならない。従って、自然科学などの経験科学は可能か、という問いは、「アプリオリな総合判断はどのようにして可能か」という問いになる。

※総合判断:主語に新しい述語を付与する判断

・しかし理性が、直観という地盤を離れ単独で、超自然的な対象(神、世界全体、魂)の認識(=「形而上学」)を生み出そうとすると、必然的に誤謬に陥る。(二律背反)


・つまり認識の対象は、感覚に与えられ得るものにのみ限定される。すなわち、人間理性は、ただ感性にあたえられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適用するにとどめられる
・認識理性は、本来悟性概念の適用されえない超感性的概念・理性概念をも知ろうと欲し、それらにも範疇を適用しようとする。しかしカントは認識の拡大へのこの欲求を理性の僭越として批判し、認識 (erkennen) されえないものはただ思惟する (denken) ことのみが可能であるとする

記号論への招待 〜 池上嘉彦

P5
人間が「意味あり」と認めるもの。それはすべて「記号」になるわけであり。そこには「記号現象」が生じている。


P10
人間は自分の周りの事物に対して意味づけをしないではいられない存在である。しかもその際の意味づけは、すべて人間である自らとの関連で行われる


P17
一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉えるかに関して一つの枠組みを与えられるということである


P21
言語の実用的な機能が人間の文化の秩序を形成し維持するささえとなるものであれば、美的機能のほうはそれを揺さぶり、変革し、新しいものを生み出していく創造的な営みと深く関わっているわけである


P32
「意味作用」−「表現」−「伝達」という系列は順次に包摂の関係を構成している。


P37
コミュニケーションとは、自分が頭の中に抱いている抽象的な広義の思考内容のコピーを相手の頭の中にも創り出す行為であると言える。